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「続きを読む」に滲み出る夫婦生活の長さ

某サイトで取り上げられた「続きを読む」ボタン。

ニュースアプリを使っているとよく出てくる。僕はこれが非常に嫌いだ。その記事を読もうと思ったから開いたのに、その意志が本当にあるのか再確認されているような、そんな懐疑的な眼差しを感じてしまう。

しかも卑怯な手法を取っている。

 

「続きを読む?」

 

このような問いかけはしてこない。

 

「続きを読む」

 

いつも目にするこのボタンは媒体と読者の関係性を象徴している。「続きを読むならボタンを押しといて」といったような、主体性をこちらに持たせて記事を読ませる関係性になる。質問形にすると、面倒くさがられるのがきっと目に見えているのだろう。

立て続けに質問をするというのは誰でも気が引けてしまう。業務上だと尚更だ。彼らは、本当に読むかどうか意思確認のフローに介入しなくなったのだ。

例えば、

 

「おかわりする?」

 

旦那のお皿を逐一把握してこのように聞いてくれる嫁さんだったのが、

 

「おかわりするなら言ってね」

 

こう言うようになってしまった。非常に合理的ではある。意思表示のきっかけはこちらに託されるようになった。夫婦生活も長くなり、関係性も洗練されたのだろう。

きっと媒体も同様に、読者との関係性を新しいステージに運んだ結果、ボタンにもその影響が出たのだ。

 

話が長くなりましたが、「続きを読む」ボタンはいらないです。