「続きを読む」に滲み出る夫婦生活の長さ

某サイトで取り上げられた「続きを読む」ボタン。

ニュースアプリを使っているとよく出てくる。僕はこれが非常に嫌いだ。その記事を読もうと思ったから開いたのに、その意志が本当にあるのか再確認されているような、そんな懐疑的な眼差しを感じてしまう。

しかも卑怯な手法を取っている。

 

「続きを読む?」

 

このような問いかけはしてこない。

 

「続きを読む」

 

いつも目にするこのボタンは媒体と読者の関係性を象徴している。「続きを読むならボタンを押しといて」といったような、主体性をこちらに持たせて記事を読ませる関係性になる。質問形にすると、面倒くさがられるのがきっと目に見えているのだろう。

立て続けに質問をするというのは誰でも気が引けてしまう。業務上だと尚更だ。彼らは、本当に読むかどうか意思確認のフローに介入しなくなったのだ。

例えば、

 

「おかわりする?」

 

旦那のお皿を逐一把握してこのように聞いてくれる嫁さんだったのが、

 

「おかわりするなら言ってね」

 

こう言うようになってしまった。非常に合理的ではある。意思表示のきっかけはこちらに託されるようになった。夫婦生活も長くなり、関係性も洗練されたのだろう。

きっと媒体も同様に、読者との関係性を新しいステージに運んだ結果、ボタンにもその影響が出たのだ。

 

話が長くなりましたが、「続きを読む」ボタンはいらないです。

気を引こうとするおじさん達

一日中、図書館で読書をしていたら時間の流れが遅く感じました。いつもの1日より長い時間を過ごしたような感覚があり、はっきりとしたことは分かりませんが得した気分です。充実感もあるので、習慣づけたいと思っております。

僕のお気に入りの席は出入り口からは離れたところにあり、座って目の前の窓からは木が生い茂っています。街中にいることを忘れさせてくれるような設計にとても感心しています(上から目線)。

今日もその席に過ごしていると、左隣の席に70代と思われる男性が座り、分厚い郷土資料を広げます。さらに横目で見ると、この方はどうやら指を舐めないと、次のページに進むことが出来ないようで、ペロッペロしていましたよ。肌が乾燥する季節ですしね。

 

ペロッ

 

気が散ってしまったので、視線を戻し自分の読んでいるものに集中することにしました。ペロペロおじさんのことも忘れかけていた頃、電話の着信音が響き渡りました。音の発信源は17時の方向、距離3メートル、60代男性のポケットからです。ガラケーを耳に当て、その場で話し込んでいました。

 

「今図書館なんです〜、はい はい あぁ そうですか!」

 

やれやれと思い、視線を戻すとき、僕の横目は無意識に捉えました。

 

ペロッ

 

まぁ、いいんですけどね。ペロペロしすぎて郷土資料が痛まないようにしてね。

というか僕に用があるなら堂々と声をかけれくればいいじゃないですか。左隣と斜め後ろから、そんな遠回しに気を引こうとしなくても、呼ばれたら応じますよ。

他にもマナーの悪い人はおりまして、意外と若い人より中高年の方がマナーの悪い人が多く見受けられました。

僕も誰かの気を引けばいいのかな。

久しぶりの更新

久しぶりに更新します。いつも見てくださっている方には申し訳ありません。言いたいことがあり更新します。 

まずは近況からですが、この頃はハローワークに行ったりしていました。 図書館にも行き、英語の参考書を漁っておりました。

そして報告が遅れてしまいましたが、無事に教習所を卒業して普通二輪免許を取得しました。僕もこれで国家に認められたライダーとなったわけです。まだオートバイを所有出来るような状況ではありません。一刻も早く納車して、ツーリングに行きたい気持ちでございます。 

そして今日、状況把握能力が欠落していることを認識しました。仕事において、共有事項をもとに行動出来ていなかったので周囲にしわ寄せがいってしまいました。これがどうしても言いたかった。

会社員の頃ほど難しいことはしていないといつも思っていましたが、今はフリーターの身なので、あの頃を振り返っていては仕方がなく、ミスが目立つ今を受け入れるべきだと認識しました。完全に身分が違います。

ミスに気づき動揺せずにはいられず、掃除でもしながら頭を冷やして考えました。社会人の仕事のほとんどは、どう行動するかの判断、つまり会議や共有事項の確認であり、その過程で報連相が必要になると。これ無くして行動すると行き当たりばったりになり、非効率な状態に陥る。僕は今日そういう非効率なことをしてしまいました。

真面目につまらないことを書いてしまいました。僕の本質はつまらない人間なのでしょう。

機嫌がいい理由

去年の12月末から教習所に通い始めて中型バイクの免許を取得しようと、沢山の指導員に詰められ、内心キレながらも教習を受け続けた結果、ついに明日は卒業検定です。

明日の決戦を控えている僕の現在の心境としては、ついにここまで来たかという達成感と、掃き溜めのような教習所を去ることが出来るという解放感をおかずにご飯を3杯食べられる勢いです。

全然緊張していないのがどうしてか考えたところ、今日の教習の出来高が良かったので過信しているのかもしれません。僕の無意識がタカをくくっております。

 

「あれくらい出来れば余裕でしょ♪」

 

♪がつくぐらいにはご機嫌です。

すこし嬉しかった

夕焼けを綺麗に取れたと思います。運が良く、柔らかい光が差していたのでふんわりと撮ることが出来ました。僕はよく海に出かけるので、どうしてもこういう写真が多くなってしまいます。

もっと色んなものを撮ってうまくなりたいのですが、周りをよく見ていないせいか目をひくものがあまりないんですよね。よく探せば、いい被写体なんてそこら中にあるような気がしてきました。

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慎ましさと竹内アナ

朝起きて「あはぁん」と悶絶するくらい衝撃を受けたことがありました。ネットをサーフィンしていたら「慎ましく」という単語を目にして、最近の自分の行いを振り返ってみると、その単語とはかけはなれたことばかりだったことに気付きました。

そう気づき「あはぁん」と声をだして頭を抱え、誰かにお仕置きをしてもらって許しを得たくなったのであります。出来れば竹内アナ似の人がいい(慎ましさを忘れてる)

 

「許しを得るために仕置きを乞うとは醜いわね!このブタめ!」

 

スーパーJチャンネルでニュースを読み上げる時の鋭い目つきで言われたいですね(慎ましさを忘れている)テレビをディスるくせにこういうところでネタに使うとは、僕もずいぶん性根が腐っているといいますか、完全に舐めていますね。

こうして書いたものを俯瞰してみると、慎ましく生きたいのに変態丸出しなので更に自己嫌悪に陥って頭がおかしくなりそうです。これが僕の本性なのでしょう。

今がまだいい

お風呂に入っている時にふと昔のことを思い出して、のんきに物思いにふけってしまいました。昔といってもここ4、5年前のことになります。

今、冷静になればそんなに大したことじゃなかったのに、あの頃は凄く大変だったり面倒くさかったことって誰でもありますよね。だからあの頃に戻りたいと、よく人の口から聞くことが多いです。

僕は戻りたいとあまり思わないんですよね。例えばノスタルジックな作品を前にひるんでしまうことはあるもの、今のほうが楽しいことに囲まれていますし。

仮に学生時代に戻ったら数学Ⅱで0点を取る悲劇を繰り返すのが怖いです。まぁ、大したことじゃないのですが、テストがない今のほうがまだいいです。社会人は毎日が試されていますが。